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今日から俺は

今年の2月から準備を始めて、DIYで作り上げた「FEVER OF SHIZUOKA 2018」が、大きな事故もとんでもない赤字を負うこともなく、無事に終えることができました。
 
もうあれから、1ヶ月もたったのか。魂がどっかに行ってました。
いや~・・・想像以上に、燃え尽きてました。
 
最初に伝えたい事。
 
来場してくれた皆さま
出演してくれた皆さま
会場の近所の皆さま
出店してくれた皆さま
ステージトレーラーを出してくれた早野さん、亀ちゃん
音響の皆さま
カメラスタッフの皆さま
デザインをしてくれた皆さん
ホテルの杉本さん
協賛してくださった企業さま
静岡市街のお店の皆さま
静岡のライブハウス
全国の仲間達
フライヤー・ポスターを設置してくれた店舗さん
村松慎介さん
モリカワさん
山形 Do It ユウトさん
下北沢BASEMENT BARの仲間
下北沢THREEの仲間
FEVER OF SHIZUOKA 実行委員会
 
この祭りに、関わってくださった全ての人に心から感謝しています。1人だけじゃ絶対にできませんでした。本当にありがとうございました。
 
終わってから、会う人々に聞かれます。
 
「FEVER OF SHIZUOKAは成功だったのか?」
 
僕は答えに少しだけ困ってしまいます。
 
初回から手伝ってくれている大切な友達が、実行委員会を降りるっていう話を終わってすぐにしたり、いろいろな人から意見をもらったり。
 
もちろん、お客さんはめちゃめちゃ楽しんでくれました。それが一番だし、それだけで大成功なんだけど、僕は別に儲けたいためにやってないから、正直、仲間とどれだけ楽しく祭りを作れるか、出演者と友達になれたか、また静岡に来てくれたらいいなっていうのが、一番大切な部分だったりしちゃうんです。ごめんなさい。
 
だから、FEVER OF SHIZUOKA 2018 成功だったのだろうか、終わって今までずっと考えていました。県民たちの夢を乗せるフェス、FEVER OF SHIZUOKA 2018の準備、当日、その時々の僕が感じた気持ちを正直に書いていこうと思います。
 
【2018年3月】
「県民たちの夢を乗せていくぜ」
 
いつからかFEVER OF SHIZUOKAのテーマになっている。でも僕が今生活している場所は、下北沢だ。
 
静岡にいない自分が、2014年から始めたFEVER OF SHIZUOKAを最大規模で開催できるか不安だった。静岡の人が、この祭りに乗ってくれるのかも不安だった。
 
そんな不安を吹き飛ばして、「よーし、やってみようか」と思わせてくれたのは、静岡でずっと一緒にFEVER OF SHIZUOKAを作ってきた、実行委員会の仲間達だった。
 
自分で言うのもなんだが、僕は「よし、やるぞ」と決めたら、動きが早い。
 
コンセプトを決めて、オファーするアーティスト、タイムテーブル、当日はどんな感じで会場を楽しんでもらうのがベストなのかイメージをする。予算を決めて、目標集客数を出す。これを何度も考えては、やり直してを繰り返して、全体像を作り上げていく。
 
基本的に、全体的なコンセプト決め、経理、アーティストのブッキング、広報、音響、大きなスポンサーとのやり取りなど僕がすべて1人でやる。
 
ブッキングから当日までの仕込みなど、ある程度割りふったら、僕と村田(Zん)とカワの3人で準備を始める。FEVER OF SHIZUOKAの2回目以降やっているおおまかな流れだ。今回は開催の半年前、3月くらいから動き始めて、いつもより準備期間は長くとった。
 
現場の総括、仕込み、片付けなどの段取りなど、現場全体の動きは村田が仕切る。村田は2014年の初開催からずっと一緒にやって来た仲間だ。出店・協賛・近隣とのやり取りを、小学生からの幼馴染でなんでも言い合えるカワがやる。
 
会場装飾を担当するのは、テラピン(THE WARPS)だ。フードチームは、のぐっちゃん(THE WARPS)、ティータイム君、ゲンちゃん、なおちゃんにお願いをした。
出店店舗の取りまとめは、静岡のオシャレ番長、HEIGHTSのイッキ君だ。ラッパーのKMCも、いつからか実行委員会の仲間入りだ。
 
今回のホームページは、四畳半さんというTHREEで毎週、顔を合わせるようになった、かっこよくて、優しい、大好きなパイセンが作ってくれた。FOS2018のロゴは、下北のその筋では知らない人はいないくらいの画家でありバンドマン、家が目の前の藤田千秋。
 
グッズデザインなどはコウヘイ君、ポスターなどの挿絵などはなおちゃん、アートワークはナツメ(Dreamcast)と井口という2人にお願いした。
 
そして僕が働いている下北沢THREEという小箱がFEVER OF SHIZUOKAのオフシャルバーとして出店する事になった。お酒の出店に関しては、「スタンドかげん」ダッシュさんが受け持ってくれて、メニューは2日目にKONCOSとしても出演するTHREEのTA-1さんが描いてくれた。
 
THREE店主のユウさんは、なにかと気にかけてくれていた。僕と同じホールスタッフのまさしさん、やっさん、おにい、キムキム、響、PAの翔太、堀田くん毎日顔を合わせるTHREEのメンバーには色々相談をさせてもらった。
 
THE WEMMERのまっつとあまも、もちろんいる。ただ、まっつとあまは現場で力を発揮タイプなので、8月くらいまではあまりやることはないのだ。
 
また今回から、実行委員会として入ってくれた人もいた。アーティストブッキングで、静岡県西部でMIND JIVEというパーティーを主催するジミーさん。静岡のWEBメディア「miteco」で編集長を務める吉松君が広報担当に。
 
カメラには「すろ~かる」で写真を担当するナツミさん、フジロックなどもオフシャル写真で入る阿部さん。映像には浜松で楽しいことをたくさん企画しているカメラマンのエイイチさん。
 
それから今年フジロックに出演した突然少年と、サマソニに出演したTomato Ketchup Boysも前日の仕込みから3日目まで、そこまでやるかってくらい協力してくれた。彼らには、本当に感謝しかない。
 
上に名前がない人もいる。それぞれ全然違う、個性的なキャラの仲間達とFEVER OF SHIZUOKAは作っている。
 
僕が大好きで、信頼していて、協力してほしい人たちみんなが、FEVER OF SHIZUOKA 2018 実行委員会に入ってくれた。それが、すごく、嬉しかったし、この船の船長として、何が何でも成功させるぞ。という気持ちになった。
 
【2018年4月】
FEVER OF SHIZUOKA 2018 の開催発表、第1弾アーティストの発表をした。2014→STYLISH→SECRET HOTEL→SUPER FREE→2018と年号を掲げるのは4年ぶりだった。
 
今回のラインナップは、他の「フェス」に顔負けしないラインナップが揃っていたと思う。FEVER OF SHIZUOKAは別に巷で言う「フェス」をやりたいわけじゃないけど、DIYの限界を越えると言うのが1つの目標だった。それが、巷で言う「フェス」と呼ばれる規模感だったんだろう。
 
下北沢THREEという場所で、出会った魅力ある人間達、昔から好きなアーティスト、ブッキングチームの中で、これは必ず静岡でと勧めてくれたアーティスト。自分がバンドを始めて今に至るまでのストーリー、静岡の音楽シーンに関連性が滲み出る、かっこいいラインナップになったと思う。
 
例年に比べると、地元バンドが少なかった。でも今回はそうしたかっただけだ。「何がFEVER OF SHIZUOKAじゃい!」という気持ちになった人も少なからず、いるかもしれない。
 
「すんません!」とだけ言おう。あとは直接僕に話をください。来年は、逆に地元バンドオンリーで行くかもしれないし。FEVER OF SHIZUOKAはその時その時、別のコンセプトでやっている。
 
人がやっていないことをやると、いろんな人に叩かれる。特に静岡のような小さな街では更にそうだ。
 
僕は誰も否定しないが、よく否定はされてきた。まあ、あまり気にしないようにしている。
 
【2018年5月】
問題が発生した。
 
仲間の1人がメンタルを病んで、大切な仕事を途中で放り出してしまったというのだ。もともと、そうゆう癖というか、持病があるやつなんだけど、毎回120%の力で関わってくれるし、人がやりたくない仕事を率先してできる、当日に活躍するいいスタッフで親友だ。
 
でも持病という言葉で片付けるわけにはいかない、責任を持ってやってもらわないといけない。僕らは仲間でこれからも友達だからだ。
 
その時、僕はTHREEで仕事を色々と任せてもらうようにもなり、かなりバタバタしていた。ケアをしてくれている仲間に対するケアができていなかった。現場で起こってしまった問題にすぐに対処できなかった。
 
距離のせいにしたくないが、静岡の仲間に迷惑をかけてしまった。チームで動いている段取りが崩れてしまった。
 
静岡の仲間たちは、湧き出る感情を我慢して、そのスタッフのケアに回ってくれたんだと思う。本当にありがとう。
 
【2018年6月】
「Road to FOS 2018」が始まった。
 
これはFEVER OF SHIZUOKA 2018 のチケットを持っていると、開催までに10本を越えるプレパーティーで、割引を受けたり、ときには入場無料で楽しめたり、FOSを1日の祭りではなく、日々の週末に落とし込みたいという気持ちで始めたパーティーだ。下北沢THREEが今年から始めた年間パス「THREEパス」のイメージからインスパイアされた部分も大きくある。
 
Road to FOS 2018では実行委委員のメンバーそれぞれが、自分のパーティーを企画した。昔からの夢を叶えたり、大成功したり。でも集客がかなり厳しいパーティーもあった。
 
THREEでもそうだけど、いいパーティーは、主催のストーリーが見えたり、目に見えて頑張ってきたのがわかる。そんなパーティーは、盛り上がるし、みんなハッピーだ。だから集客が少なくても、いいパーティーもあった。
 
色々あるけど、なぜそうなったのかを考えて、次また自分が楽しいと思えることをやればいいと思う。
 
【2018年7月】
最終アーティストを発表した。idea of a jokeというバンド名に、驚いた人はどれくらいいたんだろう。静岡の伝説のバンドだ。
 
僕はideaをメテオナイト2005のDVDでしか見たことがなかったけど、僕の中では、ヒーローで誇りだった。こんなかっこいいバンドが静岡にいたのかってなってた。オリジナルメンバーでは、もう見れないんじゃないかと思っていた。
 
10代の頃に一多く番見たであろうライブDVDは、メテオナイト2005だと思う。このDVDは高校生の想像力を、完全に超えていて、何度見ても謎が深まるばかりだった。
 
しかも、僕はこの後、アンダーグラウンド軽音楽部の名門、東海大学海洋学部へ入学する。Less Than TVへの階段だ。ただ、軽音楽部は2ヶ月でやめた。
 
Vo.モリカワさんとの出会いは、当時静岡にあったレコ屋「PERCEPTO MUSIC LAB」だった。ちなみにこれは僕の脱レコ屋童貞でもあった。
 
モリカワさんは、静岡のキーパーソンであって、決して群れない一匹狼と勝手に思ってる。むちゃくちゃかっこいいのだ。心底リスペクトしている。
 
モリカワさんに、idea of a jokeに、FEVER OF SHIZUOKA 2018 に出演して欲しいと伝えた。
 
「あ~!それいいかもね!ロッキー、みんなに聞いてみてよ~」
 
って笑って言ってて、びっくりした。えええ!そんなに軽いんだ!!みたいな笑
 
ただ、今までの関係性、出会ってから自分のことをどこかで見てくれていて、出した答えなんだろうなとも思った。
 
そこから、メンバーのヨシさん、タマちゃん、谷さん、1人1人に出演のお願いをして全員のOKをもらって、コピーがついていない、idea of a jokeのライブが決定したのだ。
 
【2018年8月】
FEVER OF SHIZUOKA 2018 は全て手作りのDIYフェスだ。言い方はかっこいいが、「主宰者ロッキー」と打ち出した時点で、僕が全ての責任を負わなければいけない。
 
8月の頭で、当初の予算を150万ほど上回ってしまった。野外で2DAYSということで、あれもこれもと、わからないだらけの毎日が予算の増加に繋がったんだろう。
 
そして日に日に増えて行く経費。毎朝起きたらまず、プレイガイドのチケット売れ枚数を見る。一喜一憂とはこのことで、「今日は10枚出てる!」とか、「今日は2枚しか出てない」とか。「あと300枚でないと、200万円、赤字だ。どうしよう」とか。
 
7月の中旬くらいから、8月はお金に追われて、自分の心が平常じゃないことに気づいていた。日にちが近づけば近づくほど、心に余裕がなくなっていく。
 
お金は大事だ。
 
1つの対価であるし、人間関係を簡単に崩してしまうのもお金だ。8月は毎週静岡に帰って準備もしていたので、あまり下北沢での仕事にも入れなかった。「ああ、これで赤字だったら9月の生活がやばい。アーティストにスタッフにしっかり払えるかな」とか寝る前に考えてた。
 
祭りを作っているのに、お金のことが気になってしまう、自分の、不甲斐なさが情けなかった。自分で勝手に、THREEにも、FEVER OF SHIZUOKAチームにもわからないだろうなと、「孤独」を感じてしまった。
 
これもお金だ。
 
【2018年8月31日】
主宰者といって僕が表に出ることが多かったけど、裏で準備や段取りをしてくれていたのは静岡の仲間達である。
 
自分は8月27日から静岡に入ってちょろっと受付周りのものを買ったり、少し準備をしたりしただけ。門の前に置かれる看板なども、会場装飾のテラピンを中心に静岡の仲間が作ってくれた。
 
そういう、ガヤガヤやりながら作るのが一番、楽しいんだよな~。参加したかった。今回はほとんどみんなと一緒にっていうのはなかったな。
 
開催前日から会場設営があるので、ホテルに入った。事前に支配人と打ち合わせを何度もしたのだが、打ち合わせをした意味がないくらい問題だらけだった。PAブースが来るスペースに1年以上放置された、ワンボックスの車があった。
 
誰の持ち物かわからないから、動かせないそうだ。19時にトレーラーが来る、それまでに車を動かせかなかったら終わりだ。
 
「ここはPAブースが来るって、全て車を動かしてくださいって言ったじゃないですか」
「動かしてください」
「無理です」
 
何度も繰り返す。少し経った後、「車を動かせる法的処置をとったので、どうぞ」と言われた。「どんな法的処置だよ」と思った。スタッフ1人が車に乗り、ニュートラルに入れ、6,7人で押して邪魔にならないところに移動した。
 
その後も色々あったが、なんとか明日を迎えられそうになったので、風呂でも入ろうと思った頃にはもう夜中の3時を過ぎていた。
 
いよいよ明日はFEVER OF SHIZUOKA 2018だ。3時間も寝れないじゃないか。
 
【2018年9月1日】
実行委員会は朝7時集合。昨日からのメンバーは疲れが顔に出ている。
 
突然少年、Tomato Ketchup Boysは出演もあるのに、前日から来てくれて設営を手伝ってくれていた。本当にこういう苦楽を共有できる仲間ができて嬉しかった。しかも自分より5歳くらい年下だ。
 
彼らだけじゃなくて、FEVER OF SHIZUOKAを通しできた仲間が、僕に応援を求めてくれた時には全力で協力したいなと思っている。
 
僕は、考えてすぐ行動するからその分、無駄が多かったりする。「動いて見たら、やっぱりこっちの方がいいかも。みんなこれ、変更しよう!」とすぐ軌道修正をしてみんなを困らせる。
 
それに比べて、現場監督の村田の指示や行動はすごく的確で、無駄がない。緻密にこの日のために3月から準備をして来た理由がわかる。村田とは2014年から、一緒にFEVER OF SHIZUOKAを作っている、同い年の僕と村田はタイプが違うのだ。その違いがFEVER OF SHIZUOKAをなんとか成り立たせているんだなと思っている。
 
開場準備ができた。
 
「FEVER OF SHIZUOKA 2018 オープンします!」
 
と、いつもTHREEで言ってるようなテンションで僕が、お客さんに促した。カメラマンの藤田さんに「ロッキーくん、めっちゃライブハウスみたいっすね」と言われた。
 
今回のFEVER OF SHIZUOKAは野外だけど、ライブハウスの空気感を出したかったから、意図しないところで言われたのが嬉しかった。
 
プールステージで佐野ピーことDot PromptのDJ、ラウンジステージでTomato Ketchup Boysのライブ。FEVER OF SHIZUOKA 2018 が始まった。
 
ラウンジステージはホテルのラウンジの中に作ったステージで、音の反響がものすごかった。音を吸わせるためにカーテンのようなものをつけるという案もあったが、なしにした。「来年もしやるなら、カーテンはつけたほうがいいな~」と思った。出音一発で反省だ笑
 
トレーラーステージの1番手は、ジャポニカソングサンバンチだ。昨年のFEVER OF SHIZUOKAに出演してくれたけど、静岡の人でこのバンドを知っている人はどれくらいいるのだろう。THREEで毎週会うような友達の顔ぶれが半年以上かけて、準備した会場で演奏している。なんだか、感慨深い気持ちに見ててなったな~。
 
演奏の前に、ステージの上で少し話をさせてもらった。天気予報でずっと、雨が降ると言われていた、晴れていた。最高の音楽、お酒、ご飯、ステージから仲間達の顔が見えた時に、「あ~これはもう成功している」って思った。
 
「ロッキー!」と声が聞こえる。本当にみんな全力で楽しんで、怪我や事故だけは気をつけてくれよ~、それが全てだった。
 
ジャポニカソングサンバンチまではゆっくり見れたが、ここからが大変だった。各セクションの担当から、電話がなる。電話で応対していると、すごい顔で走ってくるスタッフ、その後ろにまた別のスタッフ。考えてもいなかったトラブルに一瞬で対処しなければいけない。電話も夕方まで、鳴り止まなかった。
 
予想外のことだったり、気を配れていなかった事がどんどん浮き彫りになっていく。
例えば、1日目は受付もてんやわんや、僕も色んなところを走り回っていて、アーティストが会場に着いてから楽屋まで案内する動線とか、会場説明がほとんどできなかった。申し訳ない。
 
出演してくださったアーティストにフェスと認識していただいた時点で、フジロックもサマソニもFEVER OF SHIZUOKAも同じになるのかな。まあ、規模感もレベルも、全然違うけど、アーティストに対する最低限のケアはしっかりしなければいけない。
 
各セクションで、イレギュラーな事態が発生した時に、どうしても、「ロッキーどうする?」になってしまう。なんとか今日を乗り切って、各セクションで基本的に解決できるような、対策を練らないとな~と思った。
 
その後も、色々なことがあったけど、なんとかスタッフが柔軟に対応してくれたおかげで、無事1日目が終わった。
 
曽我部恵一BANDの終了後、片付けをして、実行委員会ミーティングが夜遅くまで行われた。現場のスタッフで次の日の対策をすぐに練った。僕は、ラウンジでDJパーティーにいたので、参加できなかったけど、現場のメンバーのみでミーティングできたこと、それがよかったんじゃないかと思った。
 
とにかく運営として、悔しさが残る1日だった。でも、じゃあ、また来年どうするかじゃなくてよかった。
 
明日がある。
 
明日、今日できていなかったことをしっかりやればいい。スタッフのTシャツの乾燥機をかけたと思ったら、全然乾いてなくて、干して寝たらもう4時を回っていた。
 
今日も3時間も寝れないじゃないか。
 
【2018年9月2日】
色々バタバタしていて、気がつかなかったが、夜中にかなり雨が降ったようだ。朝起きると、天気はそこまで悪くない。
 
昨日と同じく実行委員会は7時にラウンジに集合だ。5分ほど遅れてしまった。ラウンジに入ったらすでに各セクションでみんなキビキビと動いている。
 
昨日とは1人1人の動きが違う。みんなすごいな。単純に思った。現場に僕がいなくてもなんの問題もない様子だった。2日目の僕の仕事は基本的に受付にどっしりしていることになった。
 
アーティストのアテンド、機材搬入、楽屋へのアテンドは出演アーティストの顔がよくわかる突然少年が担当することに。Tomato Kethup Boysは、昨日かなり人が少なくて困っていたプールステージに今日から移動する。
 
1日目の反省点が、2日目にはほとんど改善されていた。昨日1番の問題だった、アーティストの待機所の確保、アテンド。医務室の用意、スタッフの持ち場の変更。
 
受付は、荒谷さん、ジミーさん、亀ちゃん、吉松、葵ちゃんとが昨日に続きやってくれている。riceshowerのまーくんも今日から眼鏡屋さんの仕事を休んで、参加してくれた。ありがとう。
 
昨日は、チケットを受け取ってリストバンドを渡すのだけでてんやわんやだったのが、今日は会場をマップを見せながら、ドリンクの交換など、説明などしっかりできている。
 
アーティストも2日目は、スタートの11時には、ほとんどのアーティストが会場に入ってくれていた。アーティストの入りが早いのは嬉しいものだ。
 
アーティストの入りが早かったので、この日は全アクトを見ることができた。自分がオファーしたアーティストはしっかり見たい。今回は、自分の他にジミーさんや、荒谷さんもオファーを手伝ってくれたので、しっかり見ることができた。
 
疲労感はあったけど、1日目よりも自分に余裕があってイベントを楽しむことができた。出演アーティストとも、昨日はほとんど話せなかったけど2日目はたくさん話せたのもよかった。
 
気づいたら、最後から3番目のGEZAN。今夏リリースした、BODDY ODDが始まる。KMC、Limited Express (has gone?) のユカリさん、THE GUAYS のヒロシ、OMSBとマイクリレーでFEVER OF SHIZUOKAの出演者達がGEZANのステージに現れる。
 
今回のFEVER OF SHIZUOKAは静岡の人たちに目にどう映ったんだろうか。
 
フジロックにもサマソニにも、静岡だったらマグロックや頂にも出ないバンド。だけど僕たちが紛れもなく、退屈をぶっ壊してくれるって信じている音楽。
 
僕たち、THE WEMMERのライブが終わる頃には、もう夜になっていた。お客さんが、楽しそうな顔で帰って行く。
 
携帯の充電が切れてしまって、片付けを頑張っているスタッフ、僕を探しているスタッフに申し訳ないと思いながらも祭の後の余韻に少しの間だけ、浸らせてもらった。
 
【2018年9月3日】
午前10時チェックアウトの時間だ。
 
東京から来てた友達が、全然知らんおじさんとホテルをチェックアウトしたのも、一周回って、笑えた。それぞれ色々あるんだなあ。
 
GEZAN、LOSTAGE、Bachoの欽也さんを見送った直後に土砂降りの雨が降った。
 
ラウンジとトレーラーステージの間の通路は冠水して、「この雨が降ってたらアウトだったな」なんて、スタッフ同士で冗談を言い合うが、全然目が笑ってない。少しの雨はあったが、2日間天気が、持ってくれたことが本当によかった。
 
音響設備やバーの片し、ゴミ出し、細々とした片付けを全て終えて、Tomato Kethup Boys、突然少年、THREEの仲間も東京へ帰っていく。
 
さっきまでの土砂降りの雨はいつの間にか止んで、「もう少し、頑張れ」って言われてるような青空が広がっていた。会場付近のお宅や、お世話になった方々の元へ挨拶に回る。
 
来た人はわかると思うけど、ホテルの周りは民家ばかりで、近所の方の意見は賛否両論あった。近所に暮らす方々の理解を少しずつ得ながらやっていかなければ絶対に続けていけない。
 
自治会、議員さん、警察署も回った。以外と悪くない反応だ。少しホッとした・・・よかった。
 
諸々片付けも終えて、少しだけ呑むつもりが、平日の夜から10人くらい仲間が集まって、実行委員会の軽い打ち上げのような会になった。みんなで、当日のことを振り返りながら、酒を呑む。
 
2014年から始めたFEVER OF SHIZUOKA。仲間とアイデアを出し合ってやり遂げる瞬間は最高だ。
 
今回もありがとう。またなんかあるときは頼むわ。よろしく。
 
軽い挨拶で別れた。
 
そして僕はまた、下北沢THREEへ戻る。FEVER OF SHIZUOKAは「また来週」っていつもの挨拶みたいに、みんなそれぞれの今週末、来週末へ続いていくのだ。続いていってほしい。
 
【今日から俺は】
10月1日。
 
アーティストのギャランティ、人件費、イベント保険、ゴミ処理代などとんでもない量の支払いをだいたい終えたところだ。
 
今思う事は、FEVER OF SHIZUOKAという祭りに関わってくれた全ての人への、感謝の気持ちだ。反省点は山のようにあったけど、なんとかやりきることができたのが静岡の実行委員会の面々、下北沢THREEの仲間のおかげだ。
 
終わった後に、感謝の言葉や、感想をたくさんもらった。心も体もボロボロの所に「勘弁してくれ~」と思うくらい、厳しい言葉もたくさんもらった。
 
そりゃそうだ。めちゃくちゃだったからなぁ。たくさんいろいろな人に迷惑をかけたし、自分のキャパオーバーが招いた不義理もあったと思っている。本当に申し訳ないと思う。
 
ただ、クヨクヨしていてもしょうがない。今回で終わりじゃないんだし、全てを糧にして、また今日からやって行こうと思う。アイディアも実は色々と出てきている。
1発じゃない、日々に落とし込んでいけるアイディアだ。
 
自分がこれから何を生業として生きていくのか、静岡にいつ帰るのかというイメージもなんとなくだけど、今回のFEVER OF SHIZUOKAがあったからこそ見えた気がする。
 
僕は去年の7月に、将来静岡でライブハウスを始めるつもりで、下北沢THREEに修行にやってきた。ライブハウスを居抜きで始めると言う話は上京してなくなって、元々1年で静岡に戻るつもりが、とんでもないスピード感の中で動く下北沢THREEで今も働かせてもらっている。
 
FEVER OF SHIZUOKAは成功だったのか?
 
この祭りに関わった全ての人に感謝の気持ちしかない。だから大成功だったと思う。
 
これからも、FEVER OF SHIZUOKAを仲間と続けていけたらいいな。規模を大きくする、しないはわからない。ただ、今回以上の規模でやるなら、ロッキーができないことをできる仲間が後5人は必要だ。
 
同じ意識を持った、仲間がもっと欲しい。静岡にも東京にも。
 
もし、この文章を読んで、一緒にFEVER OF SHIZUOKAをやりたいと思ってくれた人がいたらすごく、嬉しい。この文章の感想なども以下のメールへ。
 
rocky@feverofshizuoka.com
 
連絡してください。
 
FEVER OF SHIZUOKAの仲間達のうち、最初からの友達はWEMMERのマッツと天野とカワちゃんくらいしかいない。後は全員連絡をくれたり、俺もやる!と言ってくれたりして、今まで仲間になってきた。毎年、面白い人が実行委員会に増えていくのだ。
 
テレビに出ない、大手CDショップには並ばない音楽だってある。30人ぐらいのキャパで熱狂する小箱が静岡にある。君の住む街には、地元で活動するアーティスト、DJがたくさんいる。
 
これからも自分の信じている音楽で静岡をフィーバーさせていきたいと思っている。今日から俺は、自分の好きな場所を、仲間を、家族を、今まで以上に大切にしていきたい。
 
今日から俺は、これから、どんな人に出会うんだろう、どんな音楽に出会うんだろう。何してるんだろう。どこに行くんだろう。
 
今日から俺は、それが楽しみでしょうがない。
 
FEVER OF SHIZUOKA 2018に関わってくださった全ての方へ
本当にありがとうございました。
またすぐにどこかで会ったら乾杯してください。
 
2018.10.1 FEVER OF SHIZUOKA 主宰者 ロッキー(THE WEMMER,SYMBOL,and more)